ご挨拶

政治にウソがまん延しています。安倍総理や閣僚のウソはみなさんも実感しているのではないでしょうか。台東区政はどうでしょう。

私が議会で「区長は2019年度中に待機児童をゼロにする区民との約束を反故にするのか」と質問すると、「2019年度中に解消する計画をつくる」と答弁がありました。答えになっていませんが、これは区民への約束は果たせない、という宣言に他なりません。

区の姿勢は、福祉、教育、まちづくり、産業、区政運営すべての分野で、区民の痛みに正面から向き合っていません。
区議会はそんな行政をチェックできていません。

人・まち…台東区が大好きです。

区民の声がまともにとどく台東区政をつくるため、区民運動30余年、区議会12年の経験をいかし、全力をあげます。

略歴

あきま洋(秋間ひろし)

1958年9月12日、埼玉県上尾市で生まれる。上尾市立富士見小学校・西中学校、埼玉県立浦和高校、早稲田大学第一文学部日本史専攻卒。
小学生時代、上尾の映画館で上映する前の、ベトナム戦争やアフリカの仏領植民地の飢餓などのニュース映像に衝撃を受ける。「なぜ戦争や飢餓が生まれるのか」と考えるように。
中学時代はサッカーとバンドに明け暮れ、高校では自主ゼミ活動などに取り組む。マルクス・エンゲルスに触れ、社会主義・共産主義に強い関心を抱く。
大学時代は、学費値上げ反対のたたかいを通じて、日本民主青年同盟(民青)に加盟。そこで学び活動する中で、19歳で日本共産党に入党。もっぱら学生運動に専心の青春時代をおくる。
ビートルズ、重松清、大林信彦が好き。

台東区に住み、働き37年

私は台東区に住み、働いて37年になります。

幼稚園のころ、今は亡き父親と(羽田空港で)

早稲田大学を卒業後、秋葉原にある「日本農業新聞」に記者として4年半勤めました。この時は谷中のアパートから、上野公園を抜けて自転車で通勤していました。

1986年、台東民主商工会(中小事業者の社会的・経済的地位の向上をめざし運動する団体、東上野に所在)の事務局に入局。その活動を通じて、飲食店を経営していた現在のパートナーと知り合い、世帯を構えました。それから元浅草で暮らすようになって31年になります。


三ノ輪にある紙器加工の中小企業がJTから下請け発注を打ち切られ、倒産の危機に。下請け中小の受注権を守れ、と日本たばこ本社に要請合同


消費税導入の直前に荒れ狂った、自殺者まで出した推計課税の税務調査。旧東京上野税務署玄関前での抗議行動。一番左ハンドマイクを担いでいるのが私

1998年、40歳の時、都議補選に日本共産党から出馬したことをきっかけに、党の専従者活動家になり、その後、都議選に2回、区長選に1回立候補しました。私の40代は選挙に出ては負ける、という「苦難」(本人は楽観的でしたが)の連続でした。

2007年の台東区議選で、台東区民みなさんからバッジをあずかることができ、3期12年、みなさんの声、願いを区政にとどける仕事にまい進してまいりました。

人情に厚く、ものづくり、歴史と文化ゆたかな台東区が大好きです。まちを支える中小企業、個人事業者が輝き、ものづくり・クリエイターの若い力がさらにまちを盛り上げる…それで、高齢者も子どもたちも元気になることができます。

そんな思いで、大好きな台東区、そこに住み働くみなさんと、今後もずっと一緒にすすんでいきます。

孫の七五三。鳥越神社で。

民主商工時代、モロッコの植民地「西サハラ」に水を汲むことができるポンプを送ろう、と開いたジャズコンサート(マリーン、本田俊之)実行委員会メンバーと。(私は上段一番左)

千代丸関、千代鳳関と。

政治家としての信条は「苦難あるところに共産党あり」

3・11東日本大震災では、いてもたってもいられず、何回も救援活動に。
2011年は、直後の4月に福島・いわき市の避難所に、蔵前協立診療所の原田医師とともに。


8月には仙台の福祉避難所訪問と擁壁崩壊地の救援に。


11月には石巻の仮設住宅居住者支援に。


2012年、2015年も党区議団で支援活動に取り組んできた。