ご挨拶

「地方議員は地域のことだけやればいい」という意見に最近よく出会います。
もちろん、地域、台東区や自分の住む街の問題に全力で取り組むのは当然です。私は、相談者はじめ台東区民のみなさんの課題解決のため全力をあげています。この間、医療的ケア児のレスパイト対策、学校体育館へのエアコンや教室への空気清浄機整備…など、一人ひとりの困りごとやつぶやきからスタートし、政策化し実現の道をご一緒に切り開いてきました。

しかし「地域のことだけで国の問題には口を出すな」という主張に与することはできません。軍拡・増税や原発回帰、医療や介護の連続改悪など、国の政治が住民・地域を苦しめている事実を黙っていたら地方議員として失格ではないでしょうか。

俳優の故菅原文太さんは「政治家の責任は戦争をさせないこと、人々を飢えさせないことだ」と言いました。地方議員も政治家です。この言葉の重みをかみしめる昨今です。
いよいよ台東区議選が目前です。住民が主人公の台東区政をめざし、力を尽くします。何としても5期目の区政に送ってください。

略歴

あきま洋(秋間ひろし)

1958年9月12日、埼玉県上尾市で生まれる。上尾市立富士見小学校・西中学校、埼玉県立浦和高校、早稲田大学第一文学部日本史専攻卒。
小学生時代、上尾の映画館で上映する前の、ベトナム戦争やアフリカの仏領植民地の飢餓などのニュース映像に衝撃を受ける。「なぜ戦争や飢餓が生まれるのか」と考えるように。
中学時代はサッカーとバンドに明け暮れ、高校では自主ゼミ活動などに取り組む。マルクス・エンゲルスに触れ、社会主義・共産主義に強い関心を抱く。
大学時代は、学費値上げ反対のたたかいを通じて、日本民主青年同盟(民青)に加盟。そこで学び活動する中で、19歳で日本共産党に入党。もっぱら学生運動に専心の青春時代をおくる。
ビートルズ、重松清、大林信彦が好き。

台東区に住み、働き40年

私は台東区に住み、働いて40年になります。

幼稚園のころ、今は亡き父親と(羽田空港で)

早稲田大学を卒業後、秋葉原にある「日本農業新聞」に記者として4年半勤めました。この時は谷中のアパートから、上野公園を抜けて自転車で通勤していました。

1986年、台東民主商工会(中小事業者の社会的・経済的地位の向上をめざし運動する団体、東上野に所在)の事務局に入局。その活動を通じて、飲食店を経営していた現在のパートナーと知り合い、世帯を構えました。それから元浅草で暮らすようになって31年になります。


三ノ輪にある紙器加工の中小企業がJTから下請け発注を打ち切られ、倒産の危機に。下請け中小の受注権を守れ、と日本たばこ本社に要請合同


消費税導入の直前に荒れ狂った、自殺者まで出した推計課税の税務調査。旧東京上野税務署玄関前での抗議行動。一番左ハンドマイクを担いでいるのが私

1998年、40歳の時、都議補選に日本共産党から出馬したことをきっかけに、党の専従者活動家になり、その後、都議選に2回、区長選に1回立候補しました。私の40代は選挙に出ては負ける、という「苦難」(本人は楽観的でしたが)の連続でした。

2007年の台東区議選で、台東区民みなさんからバッジをあずかることができ、現在4期、みなさんの声、願いを区政にとどける仕事にまい進しております。

人情に厚く、ものづくり、歴史と文化ゆたかな台東区が大好きです。まちを支える中小企業、個人事業者が輝き、ものづくり・クリエイターの若い力がさらにまちを盛り上げる…それで、高齢者も子どもたちも元気になることができます。

そんな思いで、大好きな台東区、そこに住み働くみなさんと、今後もずっと一緒にすすんでいきます。

孫の七五三。鳥越神社で。

民主商工会時代、モロッコの植民地「西サハラ」に水を汲むことができるポンプを送ろう、と開いたジャズコンサート(マリーン、本田俊之)実行委員会メンバーと。(私は上段一番左)

千代丸関、千代鳳関と。

政治家としての信条は「苦難あるところに共産党あり」

3・11東日本大震災では、いてもたってもいられず、何回も救援活動に。
2011年は、直後の4月に福島・いわき市の避難所に、蔵前協立診療所の原田医師とともに。

 

8月には仙台の福祉避難所訪問と擁壁崩壊地の救援に。

 

11月には石巻の仮設住宅居住者支援に。

2012年、2015年も党区議団で支援活動に取り組んできた。