平和が原点

私は小学生の頃、ナチスのユダヤ人虐殺のことを書いた本を読み、「戦争は絶対いやだ」と思いました。大学時代に被爆者を描いた映画を見て、核兵器の恐ろしさを知りました。就職後、核兵器廃絶や平和運動に取り組む中で日本共産党に出会い、「戦争に命がけで反対した党」と知り、入党しました。
毎年のように広島、長崎を訪問し、5・3憲法集会や国会議員会館前行動にも参加し、草の根の活動をしてきました。「平和が原点」の私は、安倍改憲を許さない。辺野古新基地建設反対、声を上げていきます。

略歴

小林ひろみ

● 区議7期
● 都市整備委員会委員、副都心開発調査特別委員会副委員長、行財政特別委員会委員

● 千葉県佐倉市出身。県立船橋高校卒、筑波大学第一学群社会学類(法律)卒業
● 56歳
● 趣味:読書、演劇映画鑑賞
● 司法書士
● 家族:夫

小学生の時の体験

小学校の頃、ナチスドイツのユダヤ人虐殺を書いたドキュメンタリーを読み、「なぜ人が同じ人に対して、こんな酷いことができるのか」「どうして止めることができなかったのか」と、思いました。戦争だったから仕方がない、というなら、「戦争は絶対にやってはいけない」と思っていました。また、担任の先生から必ず読むようにと渡されたのが「新しい憲法のはなし」という冊子です。この本は中学生向けに文部省が編纂したもので、憲法の三原則「恒久平和」「国民主権」「基本的人権」をわかりやすく説いています。まだ小学生で難しかったけれど、強い印象を受けました。

中学・高校はバレー部

中学、高校と部活はバレーボール部に。練習を共にした仲間たち特に高校時代の男女バレー部の仲間とは、今でも時々同窓会を開いています。就職先でもバレー同好会を作ったり、また、「赤旗まつり」でバレーボール大会が行われた時には、豊島区チームを作って出場しました。

赤旗まつりでのバレーボール

大学時代

両親は商売をして四人の子どもを育てていましたから、決して楽な生活ではなかったです。高校も奨学金をもらっていたし、大学も国立か公立以外は無理なので、寮のある筑波大学一本に絞りました。当時の授業料年間18万円、寮費11万円は両親がだしてくれましたが、生活費は奨学金とアルバイト(ファミレスで早朝2時間、夜は週2回中華料理店など)で賄いました。
大学では法律専攻で、行政法と民事訴訟法のゼミをとり、司法試験にも挑戦しました。また司法書士という仕事があることを知り、不動産や会社など登記によって権利を守る仕事に興味を持ちました。
ある時、学内のホールで行われていた「人間を返せ」(被爆者を描いたドキュメンタリー映画)の上映会があり、これを見て核兵器廃絶に強い関心を抱きました。

筑波大学キャンパスで

就職

もともと教師志望で教育実習もして教員免許もとりました。しかし、教員試験に不合格になり、あわてて大学に張り出された求人票を眺めたのが、就職活動の始まり、すでに9月になっていました。
法律関係の求人票は2つしかありませんでした。丸の内界隈の法律事務所と東十条の経理事務所。法律事務所は「丸の内界隈をかっ歩するOLにはなれそうもない気がして」やめにしました。
また、残った方の経理事務所が「中小企業の味方というのが方針」と聞いて気に入りました。
職場には、「非核平和の会」があって、原水爆禁止世界大会に毎年代表を派遣していました。88年8月私は初めて広島に行き、日本全国からまた世界中から核兵器廃絶を実現するため多くの人が集まってきているのを目の当たりにし、様々に工夫して各地で平和運動が草の根で行われていることを知りました。被爆者の体験を聞き、原爆資料館も見て、これまで以上に、核兵器廃絶の思いを強くしました。職場では、非核平和の会の事務局長として、6・9署名(毎月広島原爆投下の6日又は長崎原爆投下の9日に、核兵器廃絶の街頭での署名行動)や、ピースミュージックフェスティバルと銘打ってイベントを企画・実施しました。

88年8月6日広島灯ろう流し

93年長崎

オーストラリア、ブータンの自然にふれて

仕事は楽しく、また同僚に誘われてブータンに行ったり、高校時代の友人が住むオーストラリアは二回、ひとり旅をしました。海外の美しい風景や動物に心を癒されるとともに、日本に帰ってくると「ホッとする」。日本語も通じるし、待っていてくれるひともいる、やっぱり日本はいいなぁ、と感じて、また仕事に平和運動に戻ることがありました。

87年10月ブータンのティンプーにて

ウルルをバックに撮影

ウルル

司法書士事務所を開設

同時に、仕事をしながら本格的に司法書士になるための勉強を始めました。なかなか合格できず、結局仕事をやめて勉強に集中するなか、1991年司法書士試験に合格、92年9月に小林ひろみ司法書士事務所を開設、独立しました。司法書士は、国民の権利と財産を守る仕事、この点では日本共産党と同じです。

豊島区で平和運動に携わって

豊島区で平和運動を続けるなか、映画「ポリゴン」(旧ソ連によるカザフスタン・セミパラチンスの核実験場による被害を描いたドキュメンタリー)の上映会や東京電力による労働者への不当な賃金差別の問題にも関わり、東京電力福島原発見学バスツアーも企画しました。
平和運動の中で、日本共産党が侵略戦争に反対し、国民が主人公の立場を貫いたことを知り、この党と一緒なら「戦争反対」を貫けると感じて入党しました。
現在も憲法と平和と基本的人権を守る、日本共産党の区議会議員として活動しています。

そして、父と母のこと

私は、千葉県佐倉市で鶏肉の卸売業を営む両親の四人兄弟の長女として生まれました。父は、商品配達の時私を助手席に乗せ、牛乳を飲ませたり、オシメを取り替えたりしたそうです。母は、商売の金銭的なやりくりで苦労をしていたようです。現在は両親は仕事もやめ年金生活です。苦しい中、大学までだしてくれた両親に本当に感謝しています。

父と

母と

期待します

城北法律事務所・弁護士
大山勇一さん
困っている方の相談に真摯に対応する人です。

医師
高岡和彦さん
安心して医療が受けられる豊島区にするため、頑張ってください。