豊かな福島の自然の中で育つ
私は、福島県奥会津の金山町で、建設現場で働く父と、中学校教員の母のもとで育ちました。父は、ブナの原生林を守り、イヌワシを保護する運動など、母は、子どもたちの学ぶ環境や働く環境の充実を求めて活動していました。母の職員室で遊んだり、父に連れられて、ブナの丸太が置かれた雪深い山奥に行ったことを思いだします。
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子ども時代 兄と
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子ども時代 父と
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稲刈り体験(小学1年生)
度重なる不採用で「ひきこもり」に
外国映画が好きで、英語を学びたいと県内の奥羽大学に入学。就活では、教員や事務の採用試験を数十社受けましたが不採用ばかり。「自分のせい」と自己責任にさいなまれ、大学4年の途中から引きこもりがちに。
そんなとき、知人の誘いで神山悦子さん(共産党県議)を囲む青年の集いに誘われて参加。半分勢いで、日本共産党に入党しました。
日本共産党に入り、大きく視野が広がった
入党後、同世代の仲間が私を受け入れてくれ、活動で元気を取り戻し、採用試験を受けたのが、八王子市内の医療機関でした。
採用され上京。元診療所長の池田敏雄医師(故人)から聞いた、「貧しい人、困難を抱える人のために」との言葉を胸に働くとともに、日本民主青年同盟の活動に参加。そこでの学びを通じて、「就職難は自己責任ではなく非正規雇用を増やした政治の責任」ということがわかりました。
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医療事務の時代(友の会の班会にて)
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医療事務時代(横田基地反対集会)
「政治は変わるし変えられる」が“やりがい”に
青年の雇用を守る活動で市に要望書を提出。青年の雇用を守る意見書が市議会で可決したとき、「社会は少しずつ変わっている。それは一人ひとりの力で動いている」と実感しました。
2011年市議選に立候補を決意、多くのみなさんの支援で当選し、3選も果たしました。現在結婚して子どもが1人です。八王子市議では初の産休を取得。夫と育児・家事を分担しながら議会活動で奮闘する毎日です。