ご挨拶

 兄3人の末っ子―”女だから“と、育てられ方が違うことに反発しながら成長しました。それが、男女平等を求め、どんな差別も許さないという考えの原点になっています。
 4年前「命に格差があってはならない―これが私の道しるべ」と書きました。貧困、高齢者、障害者、シングルマザー、ブラックな働かされ方をしている若者たち。そして、平和。政治はこうした解決のためにこそある。
 「まっとうな要求は必ず実現できる」の信念でさらに頑張ります。

略歴

こうだ久美子

●1950年、岩手県盛岡市生まれ
●法政大学文学部卒
●大学で「婦人問題研究会」部長
●本郷「なかよしの家保育園」保育士13年
●区議5期、前区議団幹事長、現在、総務区民委員会副委員長、災害対策特別委員
●千石2在住、家族は2男1女(夫17年亡)
●住所:文京区千石2-43-11 TEL 3946-2218

私の生い立ち

 岩手県盛岡市で兄3人の末娘として生まれました。実家は蕎麦と割烹の料理屋。祖母、母、兄、甥へと継がれ、100年を数えます。  3人の兄達と同じようにアグラをかいては「おなごびったが!(女のくせに!)」と明治生まれの祖母に叱られ、何事にも“女だから”と育てられ方が違うことに反発しながら成長しました。

「第二の性」との出会い

 18歳の時、「実存主義者」サルトルとボーヴォワール夫妻が来日し、ボーヴォワールの著書「第二の性」が発売されました。その本の1行目に「女は女に生まれない、女になるのだ」とあり、私はこの言葉に大きな衝撃を受けました。
 まさに私の生きてきた道そのものではないか。兄達と私とは、全く違う育てられ方だった。どうすれば叱られ、どうすれば褒められるかー男と女で真逆だったではないか。
 私は「女性解放」を自分の生涯の目標と定め、上京したのでした。

大学そして入党

 大学で「婦人問題研究会」と出会い、“階級社会への発展と女性の歴史的敗北”を知ります。大学紛争の最中の1年生の秋、共産党に入党しました。

保育士に

 大学紛争の末の卒業時、「赤旗」求人欄の「保育士募集」が目に止まりました。“働く女性のために働きたい”という気持ちにピッタリでした。本郷にあった「なかよしの家保育園」は無認可の共同保育所。小さな保育所で、「子どもの全面的発達」を理想として、保育を実践していました。
 当時、なかよし、あゆみ、どんぐり、東大、ひまわり、日医大ポッポの6園での「文京区無認可保育所連絡協議会」があり、私はその事務局長を務め保育の実践交流や勉強会、都区への交渉など活発に行いました。

親になり区議になる

 「なかよし」時代結婚し、親になりました。しかし長男は、ぜんそくと強い食物アレルギーでした。13年働いた「なかよし」を退職し、いくつかの職業を経たのち、米沢定男区議(当時)の強い説得で、1999年4月区議選に立候補し、20年間議員として頑張ってきました。今度6期目に挑戦します!