子ども、学校時代

さいたま市緑区で育ちました。老人ホームとお寺が隣にあった公立保育園、学童クラブで公園や土手、雑木林で遊び、小学校から高校生までバスケット部。
高校は日本文化コース、短大で日本文学科(専攻は万葉集)に進み、ゼミや青年運動、地域の子ども会の活動に取り組みました。
労働組合で働いて
短大卒業後に埼玉土建一般労働組合に就職し、健康保険や労災、青年部や主婦の会を担当。
建設業の皆さんからたくさんのことを学びました。
地域の活性化をねがって
高円寺で古着屋のアルバイト、派遣労働等も経験。
「お買い物は地元で」を合言葉に地域を盛り上げたいと思います。
核のない世界へ

戦争法に反対する杉並女性デモ
保育園で働きながら、原水爆禁止運動や脱原発運動に参加しました。
3.11のあと東京から放射線量を測定しながら福島を訪ね、農業者や商店主、若者とも交流し、食の在り方や地域振興について語り合いました。
杉並で始まった脱原発運動にも福島の体験がいかされました。
核のない世界のため全力をあげます。
立候補への決意

私は、18歳の時に共産党に入党しました。
民青同盟などの活動を経て、特に校則や学費、就職難など、主に若者の問題や平和の運動に取り組んできました。
ビラを配ったり、街でシール投票を行い、若者や住民のみなさんの声を聞いて、「政治は変えられる」と感じました。
東京や埼玉では、自分たちの運動で、実際に大学の学費減免制度がつくられたり、学内に銀行のATMを設置させたりもしてきました。
実は地道な活動が好き。自分が候補者になるとは考えていませんでした。
今までの仕事は、事務職経験が長く、「頑張りたい」という人を支える立場が多かったと思います。
東京に引っ越してきてから、原田あきら区議(当時)の紹介で杉並区議会の共産党区議団の事務局のアルバイトをしました。当時は山田区長で、沖縄の集団自決の問題などが、区議会で議論されていました。
候補者の話を受けたときは、自分がもう一歩進んで、住民の声を届ける共産党の議席を守る力になれたら、と思い決意しました。
特別な学歴や能力はないかも知れませんが、労働組合で働き、保育所で働いてきた、私にしかできないことがあると感じています。
そして、今の田中区長に対してキッパリと物を言える、ブレない日本共産党の議席を守るために頑張ります。
杉並をこんな街にしたい

子どもも高齢者も、障がいをもつ方も、いろいろな世代が生き生きと、自分らしく暮らせる社会や街をつくりたい。公園をつぶして無理やり保育園をつくる、科学館をつぶして特養ホームを建てるなど、区民を分断するような今の杉並区政。
現役世代は忙しすぎて、区政や社会にあまり関心がもてないでいる気がします。商店街で買い物をしたくても、仕事で遅くに帰ってくるので、地元のお店で買い物もできずにいる。そこを、働き方も含めなんとかしたいと考えています。
保育園や近所の居酒屋さんでは、自営業者、LGBT、シングルマザー、外国人などの話を聞く機会もあり、本当に考えさせられましたし、そこをサポートする団体や活動家の方ともいろんな話をしてきました。
セクハラやパワハラが横行するような今の社会を変え、憲法を生かす杉並区をつくりたいと思います!