略歴
小林れい子
1969年、福井県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。
編集者、ライター(ペンネームは工藤玲子)。
女性雑誌の編集に携わったのち、フリーランスとして独立。
子育て、料理、健康、がん医療などをテーマにする本の編集や記事を執筆。
子ども虐待防止活動をライフワークとし、
地域で「親子カフェ」や「子ども食堂」を運営するほか、
児童養護施設で「料理教室」を行うなどの活動を続けてきた。
二児の母。
1 福井県に生まれる
地方の放送局のアナウンサーだった父と司会者などの派遣会社を営む母はいつも多忙で、子どもたちは完全なおばあちゃんっ子に。本を読むのも文章を書くのも大好きな私は、作文コンクールで全国で表彰され、副賞に頂いたハワイ旅行も祖母と一緒に行きました。
2 激務の編集者時代
お茶の水女子大学を卒業後、S出版社に入社。女性雑誌の編集者として激務の20代を過ごしました。30歳で大学に戻って発達臨床心理を学び、同時にフリーランスの編集者・ライターとして独立。100冊以上の料理本を手がけ、がん医療の取材に明け暮れました。
3 柳原和子さんとの出会い
『がん患者学』を著したノンフィクション作家の柳原和子さんと出会い、編集者として7年以上に及んだ闘病に寄り添うなかで、がんを抱えながら生きることについてつぶさに学びました。その内容を『柳原和子もうひとつの「遺言」』にまとめ、発表しました。
4 結婚、そして高齢出産
雑誌の仕事で「小林久間吉豆腐店」を取材。それがきっかけで4代目・小林秀一と出会い、結婚。流産なども経ながら高齢出産をし、子育てに追われるなかで、当時おこった「虐待死事件」に心を痛め、何とかできないか…と思うようになりました
5 子どもを守る活動
お母さんたちとともに、虐待防止の勉強会を開始。子育て中のお母さんが孤立しないよう、地域で「親子カフェ」や「子ども食堂」を運営しました。また、子どもたちの自立支援のために、児童養護施設で「料理教室」をする活動も続けてきました。
6 放射能問題に取り組む
東日本大震災後「子どもたちを放射能から守る」活動を始め、お母さんたちと一緒に行政交渉などを行いました。SNSを駆使してみんなで集めた署名は10日間で7000筆を超え、要望は大きく前進。原発事故を風化させないことも大事なことだと思っています。
7 人権&市民運動
弁護士の宇都宮健児さんが主宰する「うつけんゼミ」に入り、「クレサラ」をはじめとする人権問題や、日本や韓国の市民運動について学びました。声をあげることが、課題を解決するための第一歩。市民と野党の共闘、そして日本共産党が大きく伸びることで、政治を変えていきたいと強く思いました。
8 日本共産党に決める
日本共産党文京区議団は「安保法制廃止」「原発再稼働禁止」「沖縄の辺野古基地建設中止」など、私たちの願いを文京区から国政に届けてくれました。子どもを守るためにも、「戦争反対」「憲法を守る」立場を私も貫きたい。それが、日本共産党に決めた理由です。