修理屋秀ちゃん!!
↑小学生時代(左)
小学生のころから機械いじりが好きで、近所の人達から頼まれた家電などを修理し、「修理屋秀ちゃん」と呼ばれていました。長年培ってきた修理スキルは今でも、生活相談の場で大活躍!
相談者の洗濯機を修理して喜ばれたこともあり。
新聞奨学生時代に芽生えた平和への思い
新聞奨学生の仲間と大分県から18 歳で上京し、福生市で新聞奨学生として働きながら大学へ通学。毎朝4時から配達、講義や実験終了後に夕刊配達という生活で、勉学を学ぶのに非常に苦労しました。
配達途中、目の前に広がる米軍横田基地、豪華な軍人用住宅…自分の生活とのギャップに素朴な疑問が湧きました。日本の中にある戦争最前
線の実態を友人と語り合う中で、「基地のない平和な日本を」という思いで日本共産党に加わりました。
↑新聞奨学生の仲間と(左端)
働く仲間を守るために
大学卒業後、システムエンジニアとして働く中で、残業代の不払いや不当解雇と闘う労働組合の委員長も経験。「生き生きと働ける職場を」と奮闘しました。
学童保育の保護者会会長としても活動。子どもたちの健やかな成長を見守りました。組合の解雇撤回勝利集会で学童クラブのキャンプで政治の舞台から直接働きかけるこれらの体験を通じて、政治が密接に関わっていると痛感。その時に「議員に」と要請があり、運動の側だけでなく、直接政治の舞台に身をおいて働きかけることも大事だと考え、家族とも相談して引き受けました。
政治の舞台から直接働きかける
社会に出てからの体験を通じて、政治が密接に関わっていると痛感。その時に「議員に」と要請があり、運動の側だけでなく、直接政治の舞台に身をおいて働きかけることも大事だと考え、家族とも相談して議員の道へ進む決意をしました。
真面目で誠実 議員団の大黒柱
赤野さんはどうしても市議会に必要な人
赤野さんと12年間議会活動を共にしてきました。議会質問に対する真剣さ、相談活動での誠実さは、まさに議会になくてはならない人です。何としても5期目も市政に送り出すために私もがんばります。
市議会議員・前市議団長
目黒 重夫
市議会を傍聴するたびに、赤野議員の論戦に感銘を受けています。高すぎる国保税が市民生活の重しになっていることを指摘し、「引き下げこそ必要」とズバリ提起したのは圧巻でした。一層の活躍を期待します。
元市議会議員
小松 雄三(南町)
四谷地域から中河原駅に行くのに「歩道橋がきつい」という声がずーっとあります。ベビーカーの女性がかなり離れた横断歩道まで回り道をして大変です。
市議会で何度も取り上げ、「歩道橋の間近に横断歩道がある例もある」と迫り、また歩道橋にエレベーター設置を要求してきた赤野さん。この問題の解決にどうしても必要な人です。
広井 暢子(四谷3丁目)
NECは、お金を溜め込みながら大リストラ、子会社で27歳の若者を指名解雇するなど、働く人達を苦しめています。赤野議員は電気情報ユニオンと一緒に、朝早くからNECの門前で立場の弱い人達のために何回もビラを渡し、働く人たちを励ましてくれています。
元NEC社員 陶山 正(南町)
府中市内でも「重層長屋」アパートは不正融資事件などの温床でした。赤野さんが議会で取り上げた後、各地の要求と連動して都条例が強化されました。
分倍河原のまちづくり提案書を作る時、赤野さんが議会で住民説明会を要望し、実現しました。中河原駅前、府中本町駅東の交差点改善でもねばり強く運動されています。引き続きがんばって下さい。
一級建築士 甲田 直己(美好町)