略歴
福手 ゆう子
1977年2月、岐阜県郡上市生まれ、44歳名古屋外国語大学中国語学科卒
2006年、東京保健生協の病院に8年間勤務
2015年4月、文京区議会議員初当選、文教委員・災害対策調査特別委員会に所属
2017年7月の都議選に初挑戦、215票差で次点。
2021年7月の都議選で30,815票の支持をいただき、初当選。
現在、都議会公営企業委員会。
本駒込6丁目に在住
趣味は映画・演劇鑑賞
家族は夫
自然に囲まれて育った子ども時代
1977年2月17日、岐阜県郡上市美並町で4人姉妹の2番目として生まれる。
山に囲まれた町で、のんびりマイペースな子ども時代を送りました。
映画監督を夢見て東京へ
大学時代は映画の自主製作にのめり込む日々を送りました。
卒業後は映画製作に関わりたいと上京。
映画の撮影現場へ見習いとして入るも、生活していくためにアルバイトの掛け持ち生活を3年続けました。
夢から遠のいた生活も「自分が選んだ道だから頑張ろう」と思う一方、「生活費や奨学金の返済等で毎月の給料が消えてしまう暮らしから早く抜け出したい」という思いがだんだん強くなっていきました。
医療機関で働く中で
29歳、患者の立場に立った医療を行う病院に初めて正規職員として就職。
いのちの平等、戦争や核兵器に反対し平和を守ることをめざす病院で働く中で、戦前から反戦平和を貫く日本共産党に出会い入党しました。
一時金の支給や生理休暇の取得など、初めて労働者の権利を実感しつつ、一方で繰り返される診療報酬のマイナス改定や社会保障制度の切り下げなど自民党政治の行う医療費抑制政策により、病院の赤字経営や数の削減、深刻な勤務医師不足などにより、多くの医療機関は規模の縮小を余儀なくされ、十分な医療をうけられない現状に直面。
職場では医療費の支払いの相談や、社会保障について学び、拡充を求める運動も職場の仲間とともに行ってきました。
2015年区議選
ある雪の降る寒い日、暖房のない部屋でボロボロの布団の中で高齢の患者さんが亡くなるという、とてもつらい事件がありました。
貧困が命を奪い、個人の尊厳が守られない社会を目の当たりにした、忘れることができない事件です。
「こんな社会を変えなければ」という強い思いが、患者や区民の代弁者として政治の道に進む決意となり、2015年文京区議会議員選挙に挑戦し初当選。
文教委員・災害対策調査特別委員に所属。
一人一人に目が行き届く授業の質の向上と、教員の負担軽減にもつながる全学年での少人数学級の実現を求める請願の採択や、人口増による教室不足に対応した校舎建て替え、築50年を超え老朽化した学校施設改修での学校間格差の解消を求め、50億円規模の学校快適化改修を実現してきました。
また、避難所となる体育館にエアコンの設置について現地調査を行い、要求を実現してきました。
2017年都議会に立候補、惜敗
都政においても大型開発優先路線の見直しが求められ、「命より大切なものはない」と、福祉・くらし最優先の都政へ転換の強い思いが、都議選に挑戦する動機となりました。
区内最大の都有地である「都バス大塚支所跡地」を、待機児童・特養ホーム待機者の解消のための認可保育園・特養ホームの整備、安心して暮らせる公営住宅の建設に活用することは文京区民の切実な願いであり、党区議としても粘り強く論戦を続けてきた問題です。
区議会では2度にわたり福祉活用を求める請願が採択されました。
都有地を都民の福祉の願い実現のために活用することは、文京区民の大きな願いとなり、26789人の願いが得票となって託されました。
議席には実らなかったものの、私は「都バス大塚支所跡地の福祉活用」の公約実現に向けて毎月の街頭宣伝などで4800筆を超える署名を集めて都に届けてきました。
また、区議会で請願に採択した会派(文京みらい、市民の広場 当時)の区議と区民の共同で、都・区への要請を繰り返し行ってきました。
こうした党派を超えた共同が、区の姿勢を180度変えさせ、2023年に100人規模の認可保育園と育成室、子育て支援施設が開設されることになりました。