【主な経歴】
●1967年板橋区生まれ ●都立北園高校卒 ●國學院大學文学部卒 ●区内洋菓子メーカー勤務 ●27歳で区議初当選(連続8回) ●区議団前幹事長 ●枝川1丁目在住 ●家族は夫
私は、区議8期30年。まさしく「失われた30年」の中で江東区議会議員を務めてきました。「民間でできるものは民間で」というかけ声のなか、国、都、区が住民負担を増やし、学校の統廃合や保育園の民間委託を進めてきた30年です。賃金があがらず、生活が苦しくなるなか、誰でも「自分らしく生きられる社会」をつくりたいと活動してきました。
江東区議会議員に初めて当選したのは、企業と政治家をめぐる金権・腐敗事件があいつぎ、「政治改革」が叫ばれた時期でした。最近では、江東区で5年間で8人もの自民党政治家が汚職や買収で逮捕、もしくは起訴されました。国会や都議会では、政治資金パーティーを利用した「裏金」が大問題になっています。
私は、お金で動く『古い政治を変える』、この強い思いでとりくんできました。
2023年の江東区長選をめぐって3人の区議会議員(当時、自民党会派)が柿沢未途衆議院議員(当時)から現金20万円を受け取る事件が起こりました。
私は、議会運営委員会で、「『陣中見舞い』というが、20万円を受け取ったことは事実。区議会が態度を示さなければ区民の信頼を失う。日本共産党として辞職勧告決議案を提案します」と発言。
自民党は「出処進退は自らで決めること」という態度、公明党は態度を明らかにしませんでした。しかしその後、公明党からも辞職勧告決議案が提出。そして驚くことに自民党からは「共同で提案したい」と申し出がありました。
買収に対する区民の怒りに対し、何もしないわけにはいかなかったのだと思います。極めて異例の共産党、自民党、公明党で共同提案し、賛成多数で可決。買収を許さない区議会の姿勢を示すことができました。
行政改革で国保料値上げ、施設使用料値上げ、保育料も値上げ、学校は統廃合と、住民サービスを切り下げながら、一方では税金での飲み食いが行われていました。私は、区議会で慣例化していた議員と区幹部職員らとの税金を使った飲み食いを中止させてきました。
私は、「自分らしく生きられる社会」をつくりたいという思いで活動してきました。そのために重要なのは、民間だけではできない、自治体が行う福祉が大切です。しかし、この30年、江東区は「行政改革」の名のもとで、福祉切り捨て、民間委託、学校の統廃合などを進めてきました。新舞子健康学園(ぜんそくの子どもが療養と教育を受ける)をなくし、重度障害者が通う塩浜福祉園は、通所する家族の8割が反対したにも関わらず、民間委託してしまいました。
「民間でできることは民間で」というのは、結局コストカットで、しわ寄せが行くのは現場です。利用者にとっては不便になる、ケアワーカーの待遇は改善しない。これが「失われた30年」の原因の一つです。
私は、こうした区の姿勢に対し、あらゆる世代の方の声を届け、区政を変えてきました。
●朝の子どもの居場所づくり
共働き世帯の増加を背景に、保護者の出勤時間が子どもの登校時間より早くなってしまうことが問題になっています。「1年生の子どもを1人で家に残せないので、出勤する時に一緒に家を出ると校門が開くまで時間があり、子どもの安全が心配」との声が寄せられていました。
私は、三鷹市や八王子市で、小学校の校庭を始業時間より早く解放する事業を実施していることを議会で紹介し、江東区でも行うよう求めました。8月夏休み明けから順次、3校で実施が始まります。
●18歳までの子ども医療費が無料化に
日本共産党区議団を代表して、あぜ上三和子さん(当時江東区議)の条例提案をきっかけに乳幼児から医療費無料化がスタート。私はこれを引き継いで条例提案を繰り返し、2023年4月から、子どもの医療費無料化制度の対象年齢が、18歳まで拡大されることになりました。自民・公明の反対で否決されてきましたが、粘り強い提案が、都政と区政を動かしました。
●学校給食無償化を実現
私は2017年から学校給食の無償化を掲げ、共産党区議団で17回の質問を繰り返し、2023年にとうとう実現しました。「学校給食法で食材費は保護者負担とされている」などの区の答弁を、論戦で乗り越え、自治体が負担することは排除されていないことを確認。2019年には、オール与党区政によって学校給食の値上げが行われましたが、この逆行に負けずに粘り強く提案を重ねた成果です。
●区内に保育園を次々
保育園の増設は「用地の確保がネック」でした。私は、区内で未利用の都有地などを調べ上げました。都有地などの活用を具体的に提案し、認可保育園8カ所(785人分)が増設できました。
●補聴器支給事業が大幅拡充、購入費助成が開始に
2019年6月議会で、区独自の補聴器の現物支給制度の周知を求め、区報に掲載されたことがきっかけとなり、年間400件だった申請が800件へと倍増。高齢者からは、現物支給に加えて、現金助成を求める声が寄せられました。
区内の高齢者団体と一緒に区に申し入れるなど、働きかけを強める中で、2021年4月から上限3万円の購入費用の補助が実現。さらに今年度から7万2450円に拡充に拡充しました。
●障害者窓口にヒアリングループが設置に
2020年3月に可決した「手話言語の普及、及び障害者の意思疎通に関する条例」の具体的取り組みの一つとして、区役所窓口や公共施設の会議室に難聴者の聞こえを支援する「ヒアリングループ」の設置を要求。
その結果、障害支援課窓口に設置され、会議用ヒアリングループの貸し出しも行われています。
●国民健康保険料の子どもの均等割が減額に
あまりに高い国保料に悲鳴の声が上がっています。私は、収入のない子どもにも保険料を課す「均等割」制度をなくすことを国に求めるとともに、「子どもの均等割を減額免除する条例」を区議会に提案。自民・公明などが反対しましたが、全国の共産党の粘り強い議会論戦と住民の運動が政治を動かし、2022年度から、国として6歳未満の子ども均等割の半額免除が始まりました。
●特別養護老人ホームの建設
特別養護老人ホームの建設も「用地の確保がネック」でした。私は、区内にある未利用公有地を調べ、活用を提案し、亀戸、大島、辰巳の公有地に建設されることになりました。
●「愛の杖」を守る
江東区は、歩行が不自由な方に「愛の杖」の配布を行っていました。区は黒字にも関わらず、「杖は売っている」とし、予算約80万円のこの事業を「行革」の名で廃止しようとしました。私は「『愛の杖』は福祉の心。江東区は福祉の心を捨てるのか」と追及し、廃止をやめさせることができました。
●学校耐震化を一気に実現
当時区は学校の改修の際に耐震化を行う程度で、耐震化をいつまでに完了するかの計画も持っていませんでした。私は、「避難所にもなる学校の耐震化はいち早く行うべき」と提案。すると江東区は、都内でもいち早く、学校の耐震化を一気に実現しました。
●洪水高潮ハザードマップの全戸配布が実現
私は、江東5区(江東、江戸川、墨田、葛飾、足立)で洪水・高潮ハザードマップの全戸配布を実施していないのは、江東区だけだと指摘。区は「関心のある人は自分で役所にとりにくればよい」と言い放ちました。
2019年の台風19号を経験し、「自分の住む地域を知ることは、いざというときに重要」だと繰り返し求め、2020年度に洪水・高潮ハザードマップの全戸配布が実現しました。
●感震ブレーカーを無償配布
阪神淡路大震災や東日本大震災で発生した火災の6割が通電火災です。私は、地震時に自動的に電気を遮断する感震ブレーカー設置助成を提案しました。火災危険度の高い地域(3万9千世帯)を対象に、簡易型感震ブレーカーの無償配布、分電盤型ブレーカーへの費用助成が実施されました。
●コミュニティバスを走らせた
2000年に、潮見から東京駅に行くバスが廃止になり、「不便になった」との声があがりました。私は早速区議会で取り上げ、コミュニティバス運行を提案し、実現しました。
その後、増発と豊洲コースの拡充を求め、現在豊洲コースの試運転が行われています。
●駅にエレベータを設置
「階段の上り下りが大変」という高齢者、ベビーカーを利用する子育て世代の声が寄せられていました。住民の皆さんと署名運動を行い、JRや東京メトロに交渉に行き、辰巳駅や潮見駅のエレベーターの設置が実現しました。
祖父母から戦争体験を聞き、「戦争だけは絶対にダメ」と思いました。高校生の時、平和活動に取り組む中で、戦前、政党では日本共産党が唯一戦争に反対し、命がけで反戦平和を貫いたことを知り、18歳で入党しました。
はい。27歳で初当選し、区議会に行って驚きました。定例議会が終わるたびに、各委員会の議員と区幹部職員らの税金を使った飲み食いが慣例化しているなど、古い政治がまん延していました。それを、「負けるものか」と一つひとつ変えてきました。税金による飲み食いを中止、費用弁償も廃止させました。
初めは実現困難に思えることでも、“区民の願いと結んだ道理ある提案は、やがて他会派の態度を変え、区政を動かすことができる”というのが、私の確信です。