ご挨拶

政治を希望へ ─
「声をあげれば、政治は必ず変えられる」と訴え、都議会に送っていただき3期。

それまで豊島区でまったく増えなかった、認可保育園や特別養護老人ホームが増えています。
住民の皆さんが声をあげ、ともに力を合わせる議席を作っていただき、政治が動いています。

豊島区で初めての女性都議として、ジェンダー平等、性暴力の根絶に力を尽くしてきました。

新型コロナ感染症が、くらしのあらゆる分野に影響をおよぼしています。
今、政治の役割が求められています。

くらし・学び・生業を支え、ジェンダー平等を進める東京へ。
新しい政治を一緒に作りましょう!!

略歴

米倉 春奈

人間をたいせつにする政治にしたい。

食べることが大好きな34歳。

1988年2月9日 宮崎県えびの市生まれ
中央大学総合政策学部卒業
趣味:星を見ること、ピアノ
好きな食べ物:そらまめ
休日の過ごし方:山に行く

子どものころ

夜はムササビの運動会!

故郷は、豚肉や牛肉が名産の宮崎県えびの市です。田畑と自然に囲まれて育ちました。子どもの頃に住んでいた家は屋根裏にムササビがいて、夜になると軒先からぴゅうっと飛んで「運動会」が始まるほど。父方も母方も実家は農家で、遊びに行くと食べきれないほどの野菜をもらいました。東京で、小さなオクラが150円で売られているのを見た時は、カルチャーショックでした。


中学時代

カンボジア訪問で貧困の現実を体験

カンボジアの教育支援をする父のNPO活動に同行して、学校に文房具を届けに行きました。プノンペンでは、ゴミ収集場内のがれきの山の脇にある掘っ立て小屋のような学校を訪問しました。お金になるものを集めて売って暮らしている子どもが2、30人いて、ボランティアの支援で勉強を習っていました。
そこで、出会った6歳くらいの女の子は「勉強が楽しい。先生になりたい」と話してくれました。私はショックを受けました。その子が、高校、大学へと進学していけるのだろうか。夢があっても、自分の力ではどうにもできない社会は、悲しいと思いました。
そして、世界の貧困や格差をなくしたい、この思いで大学へ進学しました。



大学時代

社会について学ぼうと民青に加入

大学の入学式の後に、たまたま民青同盟の勧誘を受けました。当時(今もですが)、どの新聞をみても「消費税は上げるしかない」と書いており、「本当にそうなのかなあ」と、ずっと思っていました。ほかに財源はないのか、どの新聞にも書いていないのです。民青の先輩とは、そのことも話題になり、先輩の話をきいてすっきりしましたし、すごく面白かったのです。そこで民青に加盟しました。


青年大集会で、世の中の見方が変わった

大学1年の5月、首都圏青年ユニオンや全労連青年部、民青などが開催した青年大集会に参加して、世の中の見方がガラリと変わりました。それまでは、派遣切りや非正規雇用の増加に対して、「努力が足りないんじゃないか」「考えが甘いからでは?」という思いもありました。しかし、不当解雇や違法労働に対して立ち上がった人の話を聞いたり、貧困など困難な状況に置かれて同じスタートラインに立てないという話を聞いて、見方が根本から変わりました。



社会を変えていきたい

そんな時に、日本共産党への入党を呼びかけられました。「日本でも貧困が広がっている。日本や世界の一人ひとりが安心して暮らせるために声を上げる人が増えないといけない。それをやっているのが共産党だ」と呼びかけられて、ハッとしました。入党を決めた瞬間です。
大学卒業後は「社会を変えていきたい」と思い、共産党の専従職員になる道を選びました。



就活問題で、国を動かした!

私たちの学年が就職活動をしていた頃は内定率がとても低く、何十社受けても内定がもらえず、引きこもりになった友人もいました。黙っていられず、就活生たちの生の声を集めて、厚生労働省や文部科学省に届けました。それを国会議員が国会で追及し、政府に、企業、大学、政府の3者が意見交換する協議会を設置させることができました。「声をあげれば政治は変わる」と実感した貴重な経験になりました。



被災地への思い

学生とともに被災地ボランティアへ一一東日本大震災

東日本大震災後、学生たちと被災地ボランティアに取り組みました。地震後のゴールデンウィークには岩手県の陸前高田市へ。家族写真を大切にしているお父さんのお宅を訪問し、津波で汚れたたくさんのアルバムをきれいにして、とても喜んでいただきました。
自然災害が多い日本。被災地の人々との交流を通じて、被災しても暮らしを立て直せる手厚い支援をする政治に転換することが必要だと感じました。


政治を希望に

みなさんの声で 都政が動きはじめました!

都議1期目は「声をあげれば、政治は必ず変えられる」を実感した4年間でした。
それまで区内でまったく増えなかった認可保育園や特別養護老人ホームが増えました。市民の声が上がり、その声と連携する議員がいると大きく政治が変わることに感動しました。
議会は「都民の声を届ける大切な機会」という責任に押し潰されそうになったこともありました。初質問の巣鴨・駒込地域の特定整備路線に関する質問前は、プレッシャーで頭が真っ白になりましたが、委員会室に入る直前に住民の方々から聞き取りした録音を聴き、「この怒りと不安の声を必ず議会に届けるんだ」と力が入りました。
困難な状況も都民と力をあわせれば、必ず政治を希望に変えられると思って、都政に向き合ってきました。

ジェンダー平等へ
政治に子どもや女性の声をもっと届けたい

実は豊島区で初の女性都議です。今も女性は私だけ。
25歳で初当選し、若者も女性も少ない都議会に行ってみたら、都政に子どもや女性の声が届いていないことに驚きました。それ以来、この分野で都政を変えるのは私のやることだと思い、取り組んできました。

もっとも切実な問題は、虐待などで家にいられない10代女性が大人の性搾取のターゲットとなっていることです。これまで政治課題として取り上げられることはありませんでした。
2016年に都議会ではじめて、“こうした女の子に支援を”と取り上げた時、都は“若い女性の支援と言われても困る”と言い、答弁できませんでした。
しかし2018年、民間団体と連携し、若い女性を公的支援につなぐモデル事業が始まり、2021年4月から本格事業となりました!予算も3倍化し1億円を超えました。大事な一歩です。今後は、つないだ先の公的支援制度のアップデートが必要です。
子どもが安全に成長できる東京を。ジェンダー平等の東京へ。