略歴
和泉 なおみ
1962年、仙台市に生まれる/宮城県立第三女子高等学校卒/家族は夫(しんぶん「赤旗」記者)と長男、2男/趣味は音楽、読書(宮部みゆきファン)/歌うことが大好き。好きな歌手はMISIA、ユーミン、AI/社会保険労務士
小・中学生のころ
小3で学級委員に選ばれ、通信簿には「リーダー的存在でクラスをよくまとめています」と書かれました。
5年生で両親が離婚。
2人の妹を保育園に迎えに行き、買い物、ご飯の支度が日課となりました。
母親のいない寂しさ、父の仕事もうまくいかず、ガスや電気が止められた日々。
辛かったのは、妹が小学校で登校拒否になった時でした。
自分も泣きたい気持ちをこらえつつ、妹の手をとり登校していました
結婚、出産
結婚後、6人家族の夫の実家で生活。
「いいお嫁さん」を演じるあまり、過労でダウン。
その後、「みんなを信頼し力を貸してもらおう」と変わっていきました。
相手を信じ、寄り添い、支えあってこそ人間らしい生き方ができることを学びます。
夫の仕事で上京し、仕事と子育てに忙しい毎日ながらママさんバレーを始め、PTA活動にもかかわり、長男の高校では、PTA副会長も務めました。
日本共産党との出会い
以前は「政治って何か難しいもの」という認識でしたが、党員の夫と結婚し、まもなく出産したことが転機となり、「この愛おしい命を守らなきゃ」と、政治に目が向き始めます。
折しも当時の首相が「日本は不沈空母」と、ぶっそうな発言を繰り返していました。
誘われて行った日本共産党の演説会。
「子どもの命が戦争で奪われるのだけは絶対にいや」。
自分の思いとぴったり重なり、21 歳で入党しました。
その後、日米軍事演習反対の集会では長男・智樹くんを背負って参加。
聴衆を前に初めてマイクを握りました。
以来、一貫して平和を守る運動を続けています。
働く人の役に立ちたいと難関の社会保険労務士試験に挑戦
仕事、家事、育児の合間に勉強を続け、持ち前の粘り強さをここでも発揮。
4回の挑戦で合格を掴み晴れて年金・雇用制度の専門家に。
運動の先頭に立ち、慈恵医大葛飾医療センターに放射線治療を再開
2012年の病院建て替えで廃止された、がん放射線治療。
葛飾で唯一の放射線治療を守ろうと、運動の先頭に立ち、署名を集め、慈恵医大や都とも交渉。
粘り強い取り組みで、ついに2016年1月、慈恵医大は、がん放射線治療を再開。
2013年に都議初当選
2013年7月に都議初当選を果たしました。
被爆者2世として原発ゼロ、放射能汚染ノーの願いを掲げ、初めての一般質問では「放射能対策」「大気汚染医療費助成の継続」「社会保険労務士の活用」について質問しました。
都議厚生委員会理事、党都議団政調副委員長を務め、 社会保険労務士としての経験と知識を活かし、福祉・医療の問題などに取り組みました。
地元葛飾区では毎月第二水曜日に、東部法律事務所の弁護士さんのご協力をいただき「生活・年金・法律相談会」を開催。
また、定期的に葛飾社保協など区内民主団体主催の「なんでも相談会」に参加し、くらし、雇用、医療、介護に関するさまざま相談に、現在も応じています。
共産党都議団の幹事長として
2020年1月より党都議団幹事長。
2021年に3期目の当選。
現在、都議団幹事長、財政委員会副委員長、議会運営委員会理事。