ごあいさつ

 「くらし・福祉を都政の真ん中に」をスローガンに走り続けてきた12年。
 過去最高を更新し続ける東京の豊かな財源をもっと都民のくらしに。都営地下鉄の小児運賃を50円、通学定期を半額に。シルバーパスを無料に。所得の低い75歳以上の方の医療費を無料に。都営住宅を年間5000戸増やしたり、子どもの国保料を無料にしたり、もっともっと都民のくらしを支える東京に。
 これからも全力で走り続けます。

略歴

和泉 なおみ

1962年、仙台市に生まれる/宮城県立第三女子高等学校卒/家族は夫(しんぶん「赤旗」記者)と長男、2男/趣味は音楽、読書(宮部みゆきファン)/歌うことが大好き。好きな歌手はMISIA、ユーミン、AI/社会保険労務士

小・中学生のころ

小3で学級委員に選ばれ、通信簿には「リーダー的存在でクラスをよくまとめています」と書かれました。

5年生で両親が離婚。
2人の妹を保育園に迎えに行き、買い物、ご飯の支度が日課となりました。

母親のいない寂しさ、父の仕事もうまくいかず、ガスや電気が止められた日々。

辛かったのは、妹が小学校で登校拒否になった時でした。
自分も泣きたい気持ちをこらえつつ、妹の手をとり登校していました

結婚、出産

結婚後、6人家族の夫の実家で生活。
「いいお嫁さん」を演じるあまり、過労でダウン。
その後、「みんなを信頼し力を貸してもらおう」と変わっていきました。

相手を信じ、寄り添い、支えあってこそ人間らしい生き方ができることを学びます。

夫の仕事で上京し、仕事と子育てに忙しい毎日ながらママさんバレーを始め、PTA活動にもかかわり、長男の高校では、PTA副会長も務めました。

日本共産党との出会い

以前は「政治って何か難しいもの」という認識でしたが、党員の夫と結婚し、まもなく出産したことが転機となり、「この愛おしい命を守らなきゃ」と、政治に目が向き始めます。

折しも当時の首相が「日本は不沈空母」と、ぶっそうな発言を繰り返していました。

誘われて行った日本共産党の演説会。
「子どもの命が戦争で奪われるのだけは絶対にいや」。
自分の思いとぴったり重なり、21 歳で入党しました。

その後、日米軍事演習反対の集会では長男・智樹くんを背負って参加。
聴衆を前に初めてマイクを握りました。
以来、一貫して平和を守る運動を続けています。

働く人の役に立ちたいと難関の社会保険労務士試験に挑戦

仕事、家事、育児の合間に勉強を続け、持ち前の粘り強さをここでも発揮。
4回の挑戦で合格を掴み晴れて年金・雇用制度の専門家に。

運動の先頭に立ち、慈恵医大葛飾医療センターに放射線治療を再開

2012年の病院建て替えで廃止された、がん放射線治療。
葛飾で唯一の放射線治療を守ろうと、運動の先頭に立ち、署名を集め、慈恵医大や都とも交渉。
粘り強い取り組みで、ついに2016年1月、慈恵医大は、がん放射線治療を再開。

2013年に都議初当選

2013年7月に都議初当選を果たしました。

被爆者2世として原発ゼロ、放射能汚染ノーの願いを掲げ、初めての一般質問では「放射能対策」「大気汚染医療費助成の継続」「社会保険労務士の活用」について質問しました。

都議厚生委員会理事、党都議団政調副委員長を務め、 社会保険労務士としての経験と知識を活かし、福祉・医療の問題などに取り組みました。

地元葛飾区では毎月第二水曜日に、東部法律事務所の弁護士さんのご協力をいただき「生活・年金・法律相談会」を開催。
また、定期的に葛飾社保協など区内民主団体主催の「なんでも相談会」に参加し、くらし、雇用、医療、介護に関するさまざま相談に、現在も応じています。

共産党都議団の幹事長として

2020年1月より党都議団幹事長。

2021年に3期目の当選。
現在、都議団幹事長、財政委員会副委員長、議会運営委員会理事。