略歴
ぬかが和子
●1963年 足立区西新井生まれ。興野保育園・伊興小・区立14中・都立足立高校・文教大学友会会長。葛飾たけのこ保育園保育士、都議秘書
●27歳で区議に初当選。8期32年。厚生委員長、日暮里舎人ライナー・大学病院誘致・スポーツ議連副会長などを歴任
●立場の違いがあっても一致することはみんなでが信条。
現在
○区議団長 ○総務委員会副委員長 ○子ども・子育て支援対策調査特別委員 ○議会運営委員○足立区環境審議会委員○区文化・読書・スポーツ推進委員会委員○足立区情報公開・個人情報保護審議会委員○自治体問題研究所理事
趣味
●ピアノ・クラリネット・歌
●写真・運転・アウトドア
●サザンオールスターズ・読書
特技
●冷蔵庫の余り物の料理
●文章を早く読むこと
生まれ育った大好きな足立。だから「みんなが幸せに」の強い思いと正義感
不正や理不尽で人が苦しむことは絶対にあいまいにできません。障害者、区内の被爆者、要介護高齢者と家族、シングルマザー、生活困窮者、難病患者、医療ケア児…。多くの方に毎日出会います。私は生まれ育ったこの街と人情が大好きだから「この街に生きる誰もが幸せに」の思いで32年とりくんできました。 当事者さえもあきらめかけていた「知的障害4度に手当てがないのは足立だけ」「他区ではみんな被爆者見舞金出しているのに」の30年来の願い、あきらめずに提案し続けついに2018年12月、実現へ区の姿勢が大きく変化しました。
幼少期 新西新井公園公園にて
一人一人の悩みから行政のしくみを変える行動力で
今ではあたり前の街の風景、実現に奮闘した歴史があります

西新井駅西口
30年来のとりくみが実りついに西口にエスカレーター実現! 1990年、私は都議秘書でした。当時運輸委員だった国会議員とともに、東武に直接エスカレーターの設置を求め、その後、署名もとどけくり返し実現を求めてきました。 当時は他党の議員も実現を求めていましたが、その後東口にエレベーター設置したことにより「西新井駅はバリアフリー法に基ずく対策は完了」と当時の区長が宣言し、誰もがあきらめて質問しなくなりました。 それでも私はあきらめずに提案、実現を求め、2011年に初めて「区が設置」を表明しました。その後他党議員も後追いで質問するようになりました。 ついに2022年9月に、仮設段階からエスカレーターや大型エレベーターが実現しました。駅ビルや周辺交通の改善等も求め続けています。駅ビルの改善、駅付近(亀田団地跡)にみんなの声が生きる図書館建設、信号機や混雑等交通改善などに力をつくしています。
日暮里舎人ライナー
2008年の開業まで、超党派で一丸となって「早期実現」を求め、私は「誘致議員連盟」の副会長も努めました。 運営主体を「都営交通に」と求めてきたのは日本共産党だけでしたが、都営交通で実現したことによりシルバーパスが使える数少ない路線になりました。 開通後、利用者の声をうけ、真っ先に「混雑解消」を求めて以来、毎年都交通局に改善を求める中、当初は冷たかった都の態度が変化しました。車両の改善や増発を次々と実現。抜本策も提案しています。
大師前駅のエスカレーター
32年前、大師線が高架化したことにより、駅ホームも3階になりました。当時の駅舎案は梅島駅のような形態で、エレベーターしかつくらない予定でした。東武本社に出向き交渉。区にも働きかけを行い、エスカレーターを含め、今の「大師の景観に見合った駅」が実現しました。ひきつづき大師周辺の活性化に力をつくします。西新井病院前のバス停
「病院前」のバス停、今は多くの方が利用しています。以前は全くバス停がなく、一人の都住居住者の声から、バス停設置の署名に取組み、西新井病院にも署名用紙をおいてもらいました。「自民党に頼んでも出来なかったから無理」といわれましたが、都議と共に求め続け、あきらめずに実現しました。
西新井駅東口の水害対策
下水道が完備した2012年。区内で水害が激減しましたが、栗原1丁目(ギャラクシティ前の通り)だけは、大雨が降ると水が出る地域で、地元の方は苦労していました。私は予算委員会で実態をつきつけ、区長の「改善」答弁を引き出し、環七手前に雨水マス、ギャラクシティの改善時に貯留槽を実現。大雨が降っても水が出ないことが、当たり前になりました。防災無線68か所増設、学校体育館などエアコン設置へ
「防災無線が聞こえない」の一人の声から「聞こえ方」アンケートを独自に全区で行い防災無線の増設を実現。酷暑で「エアコンがこわれた」「台風で屋根が壊れた」…困りごとの声にたいし「他区の支援策」が足立にないことを調べ提案。避難所となる学校体育館のエアコン設置も繰り返し申し入れや質問し、2018年9~10月に区の答弁が「拒否」→「検討」に変化。実現の見通しをひらきました。
介護や子育ての苦労が痛いほどわかる
認可保育園42か所増設 特養ホーム4か所⇒28か所へ増設
足立区議会史上初めて「議員と出産・育児の両立」をなしとげたパイオニアと言われています。同居していた難病の父は自宅で最期を迎えました。だから介護・子育ての苦労をわがことのように受け止め、認可保育園や特養ホームの増設を拒否されても諦めずに求め続け、大幅増設を実現しました。 「保育園の時代は終わった」と言い放った自民党区議もいる中、一時期は共産党以外は全く認可保育園増設を求めなくなり、待機児童は急増しました。西新井駅西口駅前の保育施設も「認可保育園誘致を」と求めたのは私だけでしたが、「きらきら保育園」が誕生。その後も働きかけを強め、栗原4丁目(区施設跡)をはじめ、42か所の認可保育園が誕生しました。 特養ホームもぬかが区議の初当選直後は4か所しかありませんでした。公約に掲げ「緊急度の高い人はすぐに入れるように」など求め続け、区内28か所の特養ホームを実現しました。
出産・育児と議員活動を両立