プロフィール

’71年長崎県大村市生まれ

’99年香川医科大学医学部卒

’99年高松平和病院で初期研修

’01年代々木病院(内科)・中野共立病院(内科)・大田病院・大森中診療所に勤務

大田区内保育園の園医を務める。

’07年日本共産党参議院比例候補

’09年・ ’17年日本共産党衆議院東京比例ブロック候補

’14年川島診療所(中野区)所長

◇原爆症認定訴訟、水俣病検診、福島原発事故被害者検診、年越し派遣村、被災地支援(東日本・熊本など)に参加。

街頭相談会、路上生活者の支援に継続して取り組む。

長崎県に生まれ育つ-反核平和の思いは幼少期に培われた

目立つのが苦手で、かといって根暗でもなく、いわゆる普通の子でした。空手道場に通い、ピアノ教室も通っていました。
毎年8月9日、長崎では夏休み期間中でも必ず全校生徒が登校し原爆被害者の方々へ黙とうをささげます。
また、原爆の被害にあわれた方々の体験談を聞くことも日常的でした。自分が立っているこの場所(長崎)でわずか40年程前に悲劇がおこった…「原子爆弾」「核」「戦争」は私にとって生活の隣にあり、恐怖の対象でした…

医学生となり反核平和・社会を変える運動へ飛び込む──日本共産党との出会い

医学生となって間もなく、民医連と出会いました。経済的な理由から病院にかかれない患者さんの存在を知り、衝撃をうけました。「あなたは、どうすればいいと思いますか?」と聞かれ、何も答えられず悔しい思いをしたことを覚えています。悶々としていた時、日本共産党員の先輩と出会いました。「社会を変える生き方がある」ことを知り、心の中の雲が晴れていくような感覚を覚え、この道に入りました。
学生自治会や、その全国組織である全日本医学生自治会連合(医学連)の活動、全国医学生ゼミナール(医ゼミ)、反核平和運動に明け暮れていました。

核兵器廃絶を-「核」に医師として向きあってきました。

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の世界大会に4回参加、原爆症認定訴訟の医師団、チェルノブイリ原発の視察、福島原発事故被災者への医療支援など「核」と向き合ってきました。
幼少期に「原爆」は恐怖の対象でしたが、今は「廃止」をする対象となりました。
いのちを守る医師が「核兵器をなくす運動の先頭に立つのはとても自然」なことです。