もの言えぬ社会のなかで

活動報告

「三月一〇日、

 東京がもえた。ぼくの家ももえた。

 どうして僕の家だけもえたんだ。

 もえるなら日本の国ぜんぶもえて

 しまえばいい」

 

数日後、稲毛の家に、憲兵が来た

 

本棚を整理していた時に、何気なく

手に取った本を読んでいる時、目に入った。

 

「15歳が聞いた 東京大空襲

〜女子学院中学生が受け継ぐ戦争体験〜」

 

もの言えぬ時代の中で

これは修二さん(当時小学3年生)の戦争体験の

聞き取りです。

 

修二さんのお父さんは墨田区で呉服屋を営んでいましたが、

空襲の被害が広がるなか千葉県へ疎開しました。

修二さんは「東京は日本の首都だ。いまに爆撃される」

と考えをずっともっていたそうですが、ある朝、

畑仕事で寝込んでいると、母親が「修二起きなさい!」と

起こされ飛び起きると「東京にB29が来た。一斉爆撃だ」

「向島の家はもうだめだろう。すぐに東京へ行く。」

とお父さんから言われ、一緒に墨田の状況を見に言ったそうです。

 

 

墨田の街に足を踏み入れると、あたりは廃墟と化し、

荒川駅には駅員もおらず、看板は溶け、木の椅子は焼け焦げ、

踏切もない、「全てが黒ーいや、灰色であった」そうです。

 

「なぜ自分の家が焼けたのだ。

自分の家が戦争をしていたのではないのに」

 

「戦争なんか、やめてしまえ。日本が負けたっていい。

 僕の家は焼けたのだ。天皇陛下がいたって、

 東京は焼けたのだ。なぜだ。なぜだ!

 日本ぜんぶ、焼けてしまえ」

 

その数日後、国語の授業は作文でした。

そこで修二さんが書いた作文が、冒頭にあげた文章です。

 

題名は「ぼくの家がもえたこと」

 

五行の作文です。

授業の数日後、修二さんの家に憲兵が来ます。

憲兵は父親にこう言います。

 

「あんたはいったい、息子にどんな教育をしているんだね」

「あんた、何だい、え、左翼かね。

 こんなものを描く子どもを育てて、いったいどうするのか」

 

お父さんは3日間留置所に入れられ、

「私は息子をそのように育ててはいない」

その一言を言い続け、殴られたそうです。

 

留置所から帰ってきたお父さんは、修二さんに言います。

 

「いいか、修二。戦争はもうすぐ終わる。

 日本が不利だろう。それまでに、また何かあるかもしれん。

 私は戦争の時代の人間だから、お前にも私の習った通り

 教えた。世の中には流れがある。それも、もうすぐ変わる。

 自分の意見を貫くのは正しいことだが、それはときどき、

 世の中の流れに逆らうことがある。そんな時は、待て。

 待っても待っても変わらなかったら、自分で変えろ」

 

 

子どもだった修二さんに、戦争がなぜ起きたのかどうか、

知る術はありません。しかし、戦争によって自分の大切な

ものが奪われた、生活を壊された怒りが生まれ、その時

感じた素直な気持ちを文章にしただけなのに、

憲兵は家に押しかけ、「左翼なのか?」

「どういった育て方をしているのか?」と追及し、

逮捕、投獄して暴力まで振るう。

 

これが戦争のあった当時の日本で、「普通」に行われて

きたことです。

 

昔あったことだとすますことはできない状況が、

今の日本で再び進められようとしています。

「尊厳を守れ」「民主主義を守れ」と声を上げる人々を、

捜査や監視の対象にする共謀罪が強行されようとしています。

また、「もの言えぬ社会」が作られようとしています。

 

修二さんのお父さんはいった言葉は重く、今に

生きる私たちを励ます言葉です。

 

「自分の意見を貫くのは正しいことだが、それはときどき、

世の中の流れに逆らうことがある。そんな時は、待て。

待っても待っても変わらなかったら、自分で変えろ」

 

自分で変えろ!

 

今の社会を変えることができるのは

私たちです。

安倍政権から、新しい政治へ、日本を変えましょう!

 

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