ご挨拶

介護の仕事をするなかで、現場の努力だけでは解決できない多くの課題にぶつかり、何度も悔しい思いをしてきました。介護の現場の声が政治に届かない、やはり政治の力が必要だと痛感しました。
高齢者、障がい者が住み慣れた地域で安心して生活ができるよう、介護・福祉の現場で働いた経験を生かしてがんばります。

略歴

木村ひでこ

1965年8月4日、山形県南陽市生まれ。
2007年社会福祉法人すこやか福祉会入職。
高齢者住宅、ファミリーケアすこやか、ファミリーケア水元公園、ファミリーケアあおと、デイサービスセンターかなまち、みさと健和病院地域包括ケア病棟に勤務。
介護福祉士・介護支援専門員・福祉用具専門相談員・住環境コーディネーター3級。趣味はピアノ、バイク、車、ゴルフ、料理。料理は1つの食材で5品をつくる。

介護の仕事にはいったきっかけ

たまたま新聞に折り込まれていた「ヘルパー2級の資格を取りませんか」というチラシを見て応募したのがはじまりです。 最初から介護の仕事というものを知っていたわけではなく、ある意味、未知の世界でした。 でも、思い出してみれば、祖母が入院した時に、泊まり込みで付き添ったのが介護のはじまりだったと思います。 いま改めて考えると、介護は技術というより、心だと思います。私が心がけてきたのは「聞く」ということ。人の話には、その人の生きてきた歴史があります。やっぱり、人に接する仕事はすばらしい。私は介護の仕事を通じて人生の先輩に、私にとって「宝もの」となる、たくさんのことを教わりました。

区政で訴えていきたいこと

介護をどうするかは、高齢者自身にとっても、その家族にとっても深刻な問題です。 仕事を辞めてまで親の介護ができる人は少ないし、サービスを受けるとしても経済的に大きな負担が伴います。デイサービスや訪問介護も、国が制度を見直すたびに使うのが大変になっていて、安心して医療と介護を受けられる状態にないのです。 だからこそ、身近なところから高齢者と家族を支える政治を実現したい。私はそのことを区政で訴えていきたいと思います。

なにごともチャレンジ!やり抜くルーツ

4歳で母を亡くし、祖母に育てられました

山形県南陽市で四人姉妹の三女として生まれました。4歳のときに亡くなった母に代わり、祖母が私たちを育ててくれました。 小学校入学の時に買ってもらったオルガンが机がわり。土木関係の仕事をしていた父は東京に出稼ぎに出ることもあり、狭い市営住宅で小さい時から毎日家事を手伝って育ちました。

東京マラソン途中棄権したもののその後ハーフマラソンでリベンジ

身体を動かすのが大好きで、中学時代はバレーボールをやっていました。 東京マラソンは宝くじが当たったかのように大喜び。気合いをいれて練習したら疲労骨折。出場はしたものの、結果は足の痛みと体力不足で途中棄権。完走できなかった悔しさのあまり、娘と一緒にハーフマラソンをエントリーし、ビリでしたが親子で完走することができました。 何でもチャレンジするのが好きなんです。クルマ好きで中型のバイク免許も取得。カワサキのゼファー400㏄が愛車でした。船舶の免許も持っているので、職場の人たちと屋形船のような船を借りて花火大会に行ったこともあります。

高卒で上京・アルバイト。結婚と離婚、シングルで子育て

東京に上京し、十条の商店街の中にある八百屋の2階を借りて短期の専門学校に通っていました。その頃に 知り合った16歳年上の人と結婚しましたが、性格も趣味も正反対で互いに距離感ができてしまい離婚。しかしお腹の中には子どもが…。 シングルマザーで一人娘を育てました。貧乏だった私は、娘には同じ思いをさせたくないという気持ちが強かったです。しかし子育ては親も子供も一緒に成長するんですね。子どもに助けられたことが多いです。何よりも私たち姉妹4人を育てた祖母の偉大さを、自分が親になってあらめて感じました。 いま子どもの貧困が社会問題になっています。本当に胸が痛みます。安心して子育てができる社会を実現していきます。

日本共産党 都議会議員 和泉なおみ

木村ひでこ区議は、暮らしの守り手であり、区民の命綱です。 何としても、2 期目区政に押しあげてください。

都議会議員 和泉なおみ


<木村ひでこの活動地域>

金町、新宿1~5丁目、青戸、白鳥2~4丁目、お花茶屋

母・木村ひでこを語る

母の木村ひでこは負けず嫌いですが、間違ったことは絶対に許さない人です。 母子家庭で貧乏なはずなのに、保育園のころから習い事をさせたり、塾に通わせたり、ホームステイにも行かせてくれました。「母子家庭だから」と思われたくなかったのかも知れません。 小学生の時、私が他人の文房具を盗んでしまったことがありました。母はすぐ私を連れて相手方の親に謝りに行きました。私は母が頭を下げて謝る姿を見ていました。後で聞いた話ですが、私に怒る前に他人の親に謝る母を見て考えてほしかったと言っていました。 介護の仕事をしていた母は、仕事先で何かあると、いつでもすぐに飛んでいきました。ある朝、目が覚めたら母がいないことがありました。朝ごはんも食べずに学校に行って、担任の先生から母の職場の施設で火事があったと聞かされました。母は高齢者の方の命を助けるために駆けつけていたのです。 こんどは区民の生活、命を守るため全力でがんばってください。応援しています。

木村 知英(娘)