困った人の力になりたい

ご挨拶

〝困った人の力になりたい〟と、作業療法士として働いてきました。
認知症高齢者にも深く刻まれた「二度としたくない」という戦争、経済的な理由で必要な医療や介護が受けられない人達を目の当たりにして、まともな治療を行うためには、まともな政治を取り戻すことが先決だと立候補を決意。2011年の市議選で初当選を果たしました。

入院患者への関わりから、7万市民へと対象が広がり、相談内容や解決方法も多種多様になりましたが、これからも皆さんの〝困った〟に寄り添い、解決の方法を一緒に考えていきたいです。

略歴

内野なおき

1979年、本町生まれ。
長園寺保育園(現まどか保育園)、市立一小、一中、
都立立川高校を経て国際医療福祉大学・作業療法学科を卒業。
2003年より、駒木野病院に7年勤務。
2011年の市議会議員選挙に初当選(現在2期目)。
党市議団長、建設環境委員長などを務める。
趣味:野球、自転車、読書、ケーキ作りなど。

他人のために汗を流す両親の背中を見て…

日産村山工場で働く父親とホームヘルパーの母親のもとに生まれました。
父親は、労働組合に熱心で、いつも家におらず、運動会にすら顔を出さないことに疑問を持った時期もありました。
しかし、カルロス・ゴーン被告が進めてきた容赦ない工場閉鎖や人員削減などのコスト・カット、労働者をモノのように使い捨てる大企業と正面から対決し、他人のために汗を流してきた父親。
そして、それを支えてきた母親の生き様を後に知り、両親の生き方は今の自分の生き方を形成していると感じています。


一度きりの人生 何でも挑戦!

小学生の時は少年野球(パンサーズ)、中学では卓球部、高校ではハンドボールで汗を流す毎日を過ごしました。
大学では、障害児を対象とした乗馬ボランティア・サークルを立ち上げたり、熱気球部やスキューバーダイビングを兼部するなど、〝一度きりの人生だから〟と何にでも挑戦してきました。
現在でも、中学時代の同級生と一緒に軟式野球チーム(ガッキーズ)を立ち上げ、活動しています。


「困った人の力になりたい」との思いで作業療法士に

高校3年の夏、祖母の入院などを通じてリハビリの存在を知りました。
翌年、予備校に通いながら障害者やセラピストの話を聞き、「困っている人の力になりたい」と強く思うようになり、リハビリの中でも生活を支援する作業療法士を目指し、国際医療福祉大学に進学。2003年、駒木野病院に就職しました。


地域相談で医療の矛盾を感じる

3年目から担当した認知症病棟でリハビリを行いながら、月イチで地域包括センターなどを訪問。ケアマネやヘルパーの相談を受ける中、経済的な理由で入院できない認知症高齢者のあまりの多さに〝政治の責任〟を痛感しました。


反戦平和を貫く日本共産党に共感

認知症高齢者が口にする「戦争は二度と経験したくない…」という言葉。色々なことが失われていく認知症高齢者にも深く刻まれた「戦争とは何だったのか?」ということに興味を抱き、原水爆禁止世界大会に参加。
そこで、自由にものが言えない時代に〝主権在民や反戦平和〟を掲げた日本共産党に共感し、入党しました。


市民の〝困った〟に寄り添った2期8年

地元市議より、「市内には困っている市民が沢山いる。あなたの経験を市政に活かしてほしい」と言われ、2011年の市議選立候補を決意。31歳で初当選し、市民の声を市政に届けてきました。