米倉春奈物語 その五 共産党の専従活動家になる
▽学生といっしょに5回、被災地ボランティアへ
就職難や雇用問題打開の活動をしながら、大学卒業後の進路に悩みました。
NGOで働くか、それとも教師か弁護士か。何が、困っている人の力になるのか。色々考え、共産党の専従活動家(つまり、職員ということですね)になろうと決意しました。
「困ってる」人は、社会保障が薄く、労働者を守るルールがあまりにも薄い日本社会だから生まれてしまう。
だったら早く政治を変えたい。
そのために共産党を大きくしたいと思いました。都議選の立候補も、同じ思いです。
専従活動家になってからの大きな仕事の一つは、大勢の学生ととりくんだ東日本大震災の被災地ボランティアでした。
都内の学生に呼びかけ、ゴールデンウィークに岩手県の陸前高田に行ったときは、家族写真を大事にしているお父さんのお宅を訪問。大量のアルバムをきれいにしました。「家で津波に襲われ、二階に逃げるとき、真っ先に引き上げたのがアルバムだった。だけど、家の中の片付けに追われてアルバム整理ができなかった」と喜んでくれました。
一方、被災地の人々との交流を通して、人間に冷たい政治を転換しなければといっそう痛感しました。
お寿司のネタの冷凍加工をする中小企業の社長さんからは、「うちは冷凍庫のローンを返済しているときに被災した。もう一度復活するには五億円の費用が必要だけど、それではやっていけない」と訴えられました。
その中でも被災地の信頼を集めていたのは共産党でした。
その社長さんも、「(参議院議員の)大門さんが一生懸命話を聞いて、国会でとりあげてくれたのが嬉しかった」と話してくれ、私は、共産党で頑張るという決意を新たにしました。
3・11から、2年が経ちました。
去年の秋、石巻市の仮設住宅で、要望や困っていることを聞き取らせていただきましたが、復興が進んでいません。
仮設住宅の期限が迫ってきているのに、新たに生活を再建する展望がない。。
「すべてに困っているわ」
と何人もの方から訴えられました。
一日も早く、被災地の方々が、安心して暮らせる住居を得て、生活が安定するよう求めていきます。