4年間、都議会で活動してきてのおもい

インタビュー立候補の決意米倉春奈物語

都議選も4日経ちました。

この4年間、最年少の都議会議員として活動してきての、

かなり率直な思いを、以前にまとめました。

読んでいただけたら、嬉しいです^^☆

 

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前回の都議選で、初めて当選しました。
私が立候補を決意したのは、4年前、23歳でした。
大学を卒業して日本共産党東京都委員会で働いていました。
そんな私に立候補要請がきて驚きました。
立候補にはとても迷いました。

 

当時私は、大学の学費値下げや就職難の解決のために、学生たちと活動していました。
そうした中で多くの学生が「どうせ政治は変わらない」「自分の1票では社会は何も変わらない」と感じていました。

 

しかし私は、政治は必ず変えられる、私たちの声と行動で動かすことができると確信していました。
私は学生時代に就職難を解決しようと都内の学生たちと実態を調査し、厚生労働省や文部科学省とねばりづよく交渉し、政府に就職難についての協議会を設置させることができたからです。

 

だから、候補者になって政治は変えられると訴える活動をしたいと思い、立候補を決意しました。

 

それでも、候補者としての1年半の活動は、どうしたら有権者の皆さんに思いが届くのか、悩みながらの活動でした。
区内を歩くと要求があふれていました。

 

80代の女性が90代の夫の介護をしていて「このままでは二人で倒れてしまいそう」と訴えられたり、「月4万円の年金でどうやって生きていけというのか」という声を聞きました。

 

東京都にはお金も力もあるのに、都政はこうした願いに応えられていません。
しかし豊島区は定数3で共産党の議席がありませんでした。
私が当選して、この願いを都議会に届けなければという思いがあふれるようになり、それを訴えるようになりました。

 

たしかに定数3での当選は簡単ではないけれど、がんばれば勝てるとずっと思っていました。
当選の翌日、駅頭で報告をしていたら、50代くらいの女性から「私、選挙に行かないつもりだったけれど、あなたの演説を聞いて投票に行ったのよ」と声をかけられました。
うれしかったです。

 

都議会での活動も、もうすぐで3年です。

まだまだ力不足を感じていますが、印象深い質問は、初の事務事業質疑です。

 

都議会での質疑の様子

 

地元住民が強く反対している道路整備の中止を求めました。
質問でとりあげるために、道路計画にかかる地域を歩き、住民の皆さんから「ここで生まれて、ここで死にたいんだ」、「緑の多い静かな住宅地、このままにしていてほしい」という思いを聞いてきました。

 

委員会直前には、プレッシャーで頭が真っ白になりそうになりましたが、住民の皆さんにインタビューした録音を聞きなおして、この思いに応えるんだと、気持ちを切り替えて質問に臨みました。
あとで住民の方々から「私の思いを言ってくれてうれしかった」と声をかけてもらいました。
都民の声を届けたいと得た議席をいかせてよかったと思いました。

 

任期も、残り1年あまりになりました。
残された期間、都議会で一番の若者として、これまであまり議会に届いてこなかった若い人の声を取り上げたいと思っています。
これまで質問してきた大学生への給付制奨学金の創設、若い女性の貧困や困難への支援、ブラック企業をなくすことにとどまらず、色々な問題提起をしていきたいと思います。

 

前を向いて活動ができるのは、たくさんの人に支えてもらっているからだと実感しています。
都議としての3年は、環境が激変し、担う責任も影響力も非常に大きく、とまどい悩むこともよくありました。
しかし、地元で応援してくれる方たちや議会や地元でいっしょに活動する先輩たちは、私のそうした思いを含めて受け止めてくださっています。
私にとってうれしく心強く、だからこそ私は安心して初めての挑戦をしていけるのだと実感しています。

 

本当は政治は希望です。
今、戦争法に反対する学生たち、SEALDsをはじめ、若者はあきらめるのではなく、自分の思いを言葉にし、行動に踏み出しています。

 

「保育園ふやせ」「自衛隊を派遣するな」、一人一人が持っている、「本当はこうしたい」という思いを声に出し、その声が政治を動かしています。

 

一人ひとりの変化が、社会を土台から変えつつあります。みんなで新しい時代をきりひらきつつあることに、わくわくしています。

 

 

私自身、さらに力をつけて、社会を前に進めていきたいです。