略歴
あきま洋(秋間ひろし)
1958年9月12日、埼玉県上尾市で生まれる。上尾市立富士見小学校・西中学校、埼玉県立浦和高校、早稲田大学第一文学部日本史専攻卒。
小学生時代、上尾の映画館で上映する前の、ベトナム戦争やアフリカの仏領植民地の飢餓などのニュース映像に衝撃を受ける。「なぜ戦争や飢餓が生まれるのか」と考えるように。
中学時代はサッカーとバンドに明け暮れ、高校では自主ゼミ活動などに取り組む。マルクス・エンゲルスに触れ、社会主義・共産主義に強い関心を抱く。
大学時代は、学費値上げ反対のたたかいを通じて、日本民主青年同盟(民青)に加盟。そこで学び活動する中で、19歳で日本共産党に入党。もっぱら学生運動に専心の青春時代をおくる。
ビートルズ、重松清、大林信彦が好き。
台東区に住み、働き40年
私は台東区に住み、働いて40年になります。
早稲田大学を卒業後、秋葉原にある「日本農業新聞」に記者として4年半勤めました。この時は谷中のアパートから、上野公園を抜けて自転車で通勤していました。
1986年、台東民主商工会(中小事業者の社会的・経済的地位の向上をめざし運動する団体、東上野に所在)の事務局に入局。その活動を通じて、飲食店を経営していた現在のパートナーと知り合い、世帯を構えました。それから元浅草で暮らすようになって31年になります。
三ノ輪にある紙器加工の中小企業がJTから下請け発注を打ち切られ、倒産の危機に。下請け中小の受注権を守れ、と日本たばこ本社に要請合同
消費税導入の直前に荒れ狂った、自殺者まで出した推計課税の税務調査。旧東京上野税務署玄関前での抗議行動。一番左ハンドマイクを担いでいるのが私
1998年、40歳の時、都議補選に日本共産党から出馬したことをきっかけに、党の専従者活動家になり、その後、都議選に2回、区長選に1回立候補しました。私の40代は選挙に出ては負ける、という「苦難」(本人は楽観的でしたが)の連続でした。
2007年の台東区議選で、台東区民みなさんからバッジをあずかることができ、現在4期、みなさんの声、願いを区政にとどける仕事にまい進しております。
人情に厚く、ものづくり、歴史と文化ゆたかな台東区が大好きです。まちを支える中小企業、個人事業者が輝き、ものづくり・クリエイターの若い力がさらにまちを盛り上げる…それで、高齢者も子どもたちも元気になることができます。
そんな思いで、大好きな台東区、そこに住み働くみなさんと、今後もずっと一緒にすすんでいきます。
政治家としての信条は「苦難あるところに共産党あり」
3・11東日本大震災では、いてもたってもいられず、何回も救援活動に。
2011年は、直後の4月に福島・いわき市の避難所に、蔵前協立診療所の原田医師とともに。
8月には仙台の福祉避難所訪問と擁壁崩壊地の救援に。
11月には石巻の仮設住宅居住者支援に。
2012年、2015年も党区議団で支援活動に取り組んできた。