東京大空襲から78年。胸打つ語り部の言葉。
平和
3月10日、東京大空襲犠牲者追悼集会が言問橋たもとの慰霊碑の前で行われた。
川杉元延実行委員長、高森大乗台東区教育委員、小池晃参議院議員のあいさつに続き、毎年行われている東京大空襲を体験した方からの証言へ。
今年の語り部は鷲山洋子さん。(90) 以下要約。
浅草雷門近くの家で空襲を受け、母と3人の兄弟とともにリヤカーで隅田公園へ。防空壕に入ろうとすると、「だめだ、いっぱいだ」と蓋を閉められた。その後聞いた話では中に入った人たちは蒸し焼きになって亡くなったそうだ。
吾妻橋は人であふれ、デパート松屋の窓という窓は火が吹き出していた。
川べりは熱風に包まれ、母が川の水をバケツに汲んで防空頭巾の上から水をかけ、しのいだ。
家は焼け落ち、コンクリートの地下室だけ残り、水道管の蛇口から水滴がぽたりぽたりと、涙のように落ちていた。
避難生活は浅草小だったが、もらったおにぎりがおいしかったこと以外、あまり覚えていない。浅草小は学校職員と避難していた人の必死の消火活動で校舎を守り抜いた。
ウクライナでは同じように民間人への攻撃が行われている。多くの子どもたちが家を失い心に深い傷を負っている。
残酷な戦争がおきない、平和な世界になることを願い、私が体験したことを伝えなければ、と思いお話させていただいた。
毎年胸を打つ語り部の話。だんだんできる人が少なくなっていきます。私たちが代わりを務める努力をもっとしなければ、と今年も感じました。