台東デザビレ 鈴木淳元村長に聞く
今年度(2026年度)から2年間休止になる台東デザイナーズビレッジ。3月までの22年間、村長を務めた鈴木淳さんに、ここまでの成果、今後の課題などについてうかがいました。
あきま 22年を振り返っていかがですか。
鈴木 当初は前例のない、真似をするところもない新しい創業支援事業のため手探りで大変でした。1期生は現在大活躍しているクリエイターもいますが、安い家賃だからというだけで入居する人もかなりいました。率直に「逃げ出したい」と思うこともありましたが、日本一のファッション業界の登竜門になろう、と決意し、成長意欲のある人を集めるため、各地のイベントを回り、意欲と才能のあるクリエイターに必死に声をかけました。
ええ。その結果、2期目は15の入居枠に90組の応募がありました。この2期からはファッション業界で活躍するクリエイターが多く生まれました。
あきま 地域での取り組みについては?
鈴木 近隣には旧小島小の卒業生も数多く、「自分たちが通っていた学校でデザイナーが何をやっているのか知りたい」との要望に応え、1周年を機に「施設公開」を開催しました。その後、恒例行事として、地域の住民や関連事業者との交流・連携の基礎になったと思います。
また、2011年に施設公開を拡大して開催した「モノマチ」が、この地域の産業とまちおこしとを併せて盛り上げていこう、という機運を促進しました。「カチクラ」という呼称が生まれ、台東区南部地域のブランドになっていきます。
あきま 区の設立意図と現在の存在との関係で感じるところはありますか。
鈴木 台東区はファッション雑貨の問屋、製造卸売が集積して地域経済を発展させてきましたが、製造業の空洞化で後退を余儀なくされていました。デザイナーを社内に抱えられない地元企業が自社ブランド開発のためフリーのデザイナーの力を求めていました。デザビレの目的はそこにありました。
施設公開などで深まった交流がその面で貢献したことは間違いないと思いますが、それ以上に、区内で開業するデザビレ卒業生や、この地域の魅力に惹かれてこの地で開業するクリエイターが、地域の職人さんやメーカーに発注する流れが大きくなったと思います。
あきま 私の知り合いの職人さんも「デザビレ卒業生から仕事をもらっている」と話していました。最後に、今後の台東区経済やデザビレの課題について考えをお聞かせください。
鈴木 私は入居クリエイターを、山梨県のジュエリー、織物、墨田区の皮革縫製工場など産地を見学に連れていくことで、生産現場と交流する大切さを実感してもらってきました。彼らは産地から多くを学び、仕事を直接お願いすることも増えました。
デザビレ以降、全国で多くの創業支援施設ができています。そんな中で台東区の魅力は「生産現場を見せられる」ことではないでしょうか。空洞化でメーカーや職人が減っていますが、生き残った生産現場がまだあります。今後、全国・全世界に「台東区の産業を見せる」こと、そこにデザビレが新たな息吹を吹き込み続けることができるかどうか。そこが大事だと思います。
(おわり)