浅草ものづくり工房の元校舎にはこんな歴史が…

学校教育

浅草ものづくり工房がある建物は、1969~1976年のわずか7年間続いた台東区立台英小・中学校校舎だった。

 

東京オリンピック、東京タワー、東海道新幹線…戦後の高度成長を下支えした土木・建設の日雇い労働者・季節労働者が住んでいた山谷の簡易宿所(ドヤ)には学校に行かない連れの子どもたちがいた。

 

都はこの地域の未就学・不就学の子どもに義務教育を保障するため、1964年、城北福祉センター内にプレハブ教室・「ひなぎく教室」(南千住)を開設。翌年日本堤にセンターでの「城北学園」を経て、区が1969年現在地に台英小・中学校を創立した。

在籍児童・生徒数は当初の46人が最も多く、日雇い・季節労働の減少、地域の学校への入学で最後の年は3人になり、閉じることになった。

 

このほど教育委員会で閲覧したこの学校の記録冊子には、当時の学校と子ども、教職員の姿が克明に記されている。

最後の校長・木内守正先生は巻頭言で中2・S子の日記を紹介している。

〇月〇日 また父さんは前と同じように帰ってこない。いったいどこにいるんだろう。センターで寝ているかもしれない。今日は雨も降っているのに。

×月×日 父さんは本当に私が可愛いのだろうか。私はもしかしたら父さんにとってじゃまなのかも知れない。ぎりぎりまで追いつめられているのに、それでも生活保護を受けようとしない。どうしてこんなに苦しまなければいけないの。

〇月〇日 家に帰ればいやなことばかり、今の私の心の支えになっているのは学校だけ。もし学校も相談できる人がいなかったら、とっくに私はこの世から消えていたでしょう。くるものは不幸ばかり。幸せは私に背を向けてばかりいる。それでも私は生きている。何かを求めて。

 

S子は私と同年代だろう。当時こんな思いの子どもを包んでくれた学校が台東区にあったことに胸が熱くなった。